2010年6月4日

情緒と日本人 岡潔 17冊目

以前、小林秀雄氏と岡潔氏の対談、「人間の建設」を読んだが、小林氏と岡氏の言葉一つ一つに奥深さ、強さを感じたために、それぞれの本を読みたくなっ た。小林秀雄氏については「考えるヒント」を、そして岡潔氏の「情緒と日本人」。そのうち岡潔氏の「情緒と日本人」を紹介する。

私自 身、いい本とは、その人の個性が強く出てかつ、その人が強く心から動かされた出来事を書いた本だと思っている。岡潔氏は文化勲章を受章するぐらい、超一流 の数学者。数学者といえばロジックを組み立てて、答えを出すというのが一般的なイメージだと思う。だが、岡氏に関しては、数学において重要なのは情緒だと いう。

考えてみれば、数学というのはいかに美しい法則や式を見つけ出すか?といった側面がある、いやこれの方が重要ではないかと思う。 これは、論理ではなく、いかにそれに対して美しく感じるかである。それは、物理学や化学そして生物にも美しい法則みたいなものもある。実際私が研究者とし て、生物学に携わって来た経験から、DNAの二重らせん構造、細胞、そしてそれらの謎を一つ一つ紐解いていくことに非常に美というものを強く感じた。

研究者は一般的に好奇心というものによって突き動かされる面があるので、そう考えてみると情緒は学問をやっていくうえで情緒が重要だるという炯眼には驚かされる。

この本は、名言集であり、岡氏が出版した本の中でとりわけ、一貫して主張してきた箴言であり、一言一言が非常に力強く感じる。ここでは、が印象に残った言葉を紹介する。

#日本人と情緒について

人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です。

例えば、すみれの花を見るとき、あれはすみれの花だと見るのは理性的、知的な見方です。むらさき色だと見るのは、理性の世界での感覚的な見方です。そして、それはじっさいにあると見るのは実在感としてみる見方です。
これらに対して、すみれの花はいいなあとみるのが情緒です。これが情緒とみる見方です。情緒とみた場合すみれの花はいいなあと思います。芭蕉もほめています。漱石もほめています。

典型的な日本人は真の自分は死なないし、自分と一人とは心が通じ合い、自分と自然とも心が通い会うと思っているらしい。これは芭蕉の俳句を見ればよくわかる。仏教の言葉でいえば、真我的なひとである。
芭蕉の
秋深き隣は何をする人ぞ
を芥川龍之介は、人は一人一人個々別々である人の世の底知れぬ淋しさ、ととったらしいが、本当はこうだったのである。
秋も深まると隣人は何をしているのだろうと懐かしくなる。わからないという淋しさもあるが、それは表面だけであって底は懐かしいという温かさである。それが人の世の「あわれ」である。これが芭蕉の俳諧の心である。

#情緒と人間について

情緒を形に表現することは大自然がしてくれるのであるから、大自然に任せておいて、人は自分の分をつとめるべきである。情緒を清く、豊に、深くしていくのが人の本分であろう。これが人類の向上ではなかろうか。

命令は大脳新皮質の「情」から出て、それが側頭葉に届き、はっきり意識せられて感情となり、これが意欲の方向を決定し、前頭葉の命令となるのが唯一の正しい大脳の働かせ方である。

#日本文化について

日本語は物を詳細に述べようとすると不便だが、関係に言いきろうとすると、世界でこれほどいい言葉はない。簡潔ということは、水の流れるような勢いをもっているということだ。

日本はこれまで有形の文明に接したことが三回あります。シナの文化、もうちょっと遅れてインドの文化。それから欧米文化。日本の文化は無形の文化です。三 度とも、初めて接した有形の文化をいともやすやすととりいれている。これは各人がきわめて的確にその中核を把握することができるからです。これが情操判断 です。日本人は情操判断がよくできるから、とりいれるときはよいですが、その文化の中にいるうちに、すっかりだらしなくなって真似のためのまねしかしなく なる。これはなぜかと言いますと、西洋の文明は内容は感情です。その感情におぼれてしまう。そうしたらもう情操は働かないのです。感情の色どりというの は、必ずなにがしかの意味で自分で自分というものを入れるから、強い彩りになる。だから、それに惹かれるのです。しかし、純粋な情操は自分というものの入 れられないものです。だから、感情の水の中では情操判断が働かないのです。理性と言っていますが、感情のはいらんような理性をやって御覧なさい。できませ ん。これも広義の感情判断です。

#教育について

人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思いあがりもはなはだしいと思う。

教育というのは、ものの良さが本当にわかるようにするのが第一義ではなかろうか。

いいことをしましょうといったってできはしません。悪いことをするなです。

世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情は分かるが、自他の別は感じていない。時間という概念はまだその人の心にできていない。そ ういう状態ではないかと思う。そののち人の心の中には時というものが生まれ、自他の区別ができていき、森羅万象ができていく。それが一個の世界が出来上が ることだとおもいます。そうすると、のどかというものは、これが平和の内容だと思いますが、自他の区別がなく、時間の概念がない状態でしょう。それが情緒 なのです。だから時間、空間が最初にあるというキリスト教などの説明の仕方ではわかりませんが、情緒が最初に育つのです。自他の別もないのに、親子の情と いうのはありうる。それが情緒の理想なんです。矛盾ではなく、初めにちゃんとあるのです。そういうのを情緒と言っている。わたしの世界観は最初に情緒がで きるということです。

情緒と日本人/岡 潔

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