2011年5月6日

【P#1】西洋の薬について〜頭で考えて、カラダへ働きかける知識の塊

薬に携わるようになってから(研究時代を入れて)ほぼ15年ぐらいになるかと思う。

簡単に私が薬に対してどう考えているか書きたいと思う。

私は、現在、半分は市場にでる薬をどうしたらわかりやすく情報提供できるかの仕事、半分は、市場に出るための準備をする仕事をしている。

薬には、市場に出るためには、開発という市場に出すための準備が必要である。

動物で効果があり安全であるかどうかを確認する、非臨床試験、そして人で安全かどうか調べ、既存の治療法に比べどの点、利点があるのかまでを調べる、臨床試験、この二つを経て、市場にでる。

市場にでると、新しい薬の場合は次は、何年間に渡る安全性の収集が待っている。そして何年かして、情報収集が終わり、その束縛を外れたときに、ようやく製薬会社として、開発への投資を回収することに専念できる。

とにかく、そこまでにすでに莫大な時間とコストがかかる。

まず、年数。非臨床で5〜6年、臨床試験でも4〜5年、最初から最後まで国(薬事法)が決めた通りのことをやる。

そして第二に既存の治療薬は十分に効果があるため、それを凌駕するため、さらに多くの患者で治療薬を試さなければならない。期間をのばさないといけないでしょう。

第三に、どこかで失敗するリスクがある。効果があっても、安全性が保証されないし、日本も海外もそうだが、安全性に関してうるさい。また、発売後も安全性の問題が出れば回収になる。ということで、気が抜けない。それがまた手間・コストを生む。

だから、これから出てくる薬は理論的に考えて、どんどん時間がかかるし、薬価が高くなるし、いい薬が出れば出るほど、その次が出にくくなるということも考えられる。

歴史的に見ると、現代の薬の開発のプロセスは全て米国で作られた。そして今まで触れてきた通りありとあらゆる情報が収集される。一つ一つの薬は生体内でどういったことがおこるのか?どういった副作用がおこるのか?何がわからないのか?

人間の頭で考え出される薬。いわば知識の塊といってもいい。その塊がカラダに働きかけて、カラダを治療する。

徹底的に調べて、何がわからないのか探るというのは、いわば頭で考えることの限界を西洋人は知っているかのようだ。

ヨガをやっていて思うのは、ヨガのようにカラダから心へ働きかけるアプローチとは全く逆のアプローチをとっていること。

どっちがいいのか?にたいする答えは私はもっていないし、判断したくない。ただ、二つの世界にいてそれぞれの長短をこれからも探っていきたいと思っている。