2011年6月24日

【P#5】研究の評価ができない日本〜なぜ欧米の評価を信じているのか?

サイエンスの世界(ここでは基礎医学に限定して考えてみる)を研究にどっぷりはまった基礎医学の研究者から現在の製薬で研究の成果を製品化するマーケッターまで、約20年近く見ている。もっとも興味深いのはもちろん、成果を知ること。いいことに、そこには日本のプレゼンスがだんだん大きくなってきて嬉しいニュースを聞く機会が多くなっていること。そしてノーベル賞も今世紀に入って増えているということもある。

ただ不思議に思うのは、

1)日本の研究者は英語で書かれた、一流の欧米の学会誌の科学成果を評価する。

2)(逆を言えば)日本語で書かれた日本の学会誌の成果は評価されない。

これは、研究者の内部から見ると当たり前だし、確かに世界の標準言語としての確固たる地位を築いている英語で、発信することで世界中に研究者から評価されることで自分たちのステータスが上がる。

ただそうなると、

「欧米の人が評価したもの」=「すばらしい研究」

という評価になることになる。

これは、ある意味憂慮すべき事態である。明治維新以降、科学に限らずほとんどの分野において日本は「欧米に追いつけ、追い越せ」で取り組んで、ある一定の成果が上がってきたと思う。その結果、「欧米で評価されるものは、いいものだ」というマインドになってしまい、日本人は日本人独自の目で科学成果を評価できなくしているのだ。ある意味、日本の基礎医学の世界がドーナッツ状に見えてくる。それは、あたかも評価基準という中心が欧米に依存しているため空で、その空の周りに科学の成果を発信するかのように。

このように科学について独自に評価基準を作れない日本。それが、日本人が創造性があるにもかかわらず(私はそう信じている)「日本人は何を考えているかわからない。創造性がないのでは?」という欧米人がいることへつながっているのではないかと思う。

科学は西洋から発展していったので、ある意味仕方がないというのは、あるのでしょう。果たして、日本は今後独自の評価基準で持って科学を評価できる時代がくるのか??それともこれは日本の民族としての特徴であり、変わらないのか?今後ともこの問題は注目していきたい。