2014年8月30日

【W#13】ミュンヘン(4)〜ダッハウ強制収容所

ロルフィングのPhase Iトレーニングの3週間を無事終え、日本に戻る前にダッハウ強制収容所を見ることが出来た。ヒットラーがミュンヘンから電車で20分のダッハウ市に作った 最初の収容所。 最初は政治犯(共産党や社民党など左翼の政治家・活動家等)を収容するために作られた収容所だったが、徐々にユダヤ人を含めた一般市民(エホバの証人、政 治的カトリック、同性愛者、ソ連の捕虜、ジプシー、浮浪者等)にその比重が移ることに。この収容所がモデルとなり、アウシュビッツを含めてなんと合計で大小を含め2万の収容所を作られた。毒ガス室や人体実験が行われた部屋などあらゆる残虐さがそこにはあり、集団としての人間の恐ろしさを感じざるを得なかった。

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その収容所の恐ろしさに衝撃を受けたのだが、 19世紀にハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国の歴史を知っている一人として、その帝国に所属していた中欧諸国(ポーランド、オーストリア、 チェコ、ハンガリー、スロバキア、旧ユーゴスラビア諸国等)がナチスによる被害を被り、米国によって収容所が解放された後にも、オーストリアを除く中欧諸国(オーストリアは中立)はスターリンの旧ソ連による共産党の支配を受けることになることを思うと、大国に翻弄された小国からなる中欧諸国の歴史とその運命を強く感じる。

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考えてみれば、プラハやブダペスト、そしてスロバキアのブラチスラバ は、ウィーンから電車やバスを使うとすぐに行くことが出来る。ということは中欧諸国は非常に小さな国々から成り立っているということでもある。言語も民族 も異なる国々が19世紀に文化が一斉に花開いたオーストリア・ハンガリー帝国がなぜ滅んでしまったのだろうか?そして、どうしてヒットラーをヨーロッパは生んでしまったのか?といった疑問が湧いてしまう。

民族自決ということを米国のウィルソン大統領が唱えて以来、民族の優位思想を含めたナショナリズム の考えが広まる。20世紀の初頭から、各民族が独立を唱えるようになった。オーストリア・ハンガリー帝国の存在意義がなくなったと理解している が、それが極端に進むと、他の民族に対する優位性を示そうとヒトラーやスターリンを生み出すのでしょうね。

東欧3カ国の旅〜国境を越えること」で塚本哲也氏の「エリザベート」を取り上げた。

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この本は中欧諸国の近代史を分かりやすくまとめているが、そこに興味深いことが述べられている。

19世紀の初めナポレオンがオーストリアへ攻め、ウィーンを占領したときに同じくフランスのタレイラン外相がナポレオンへの手紙に

「ハプスブルク帝国を崩壊させるのはご自由ですが、これは多民族を統治するモデル国家であり、一度壊したら二度と元に戻ることはできないでしょう。後には混乱が残るだけです。そのことを忘れなく」

と書いて、くぎをさすことを忘れなかった。

また、ソ連の脅威を鉄のカーテンの例えで第二次大戦後にスピーチを行った英国の元首相ウィンストン・チャーチルは、

「ハプスブルク王朝が滅亡していなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の歴史を経験しなくてもすんだであろう」

と後に述べている。

現在、シェンゲン協定でヨーロッパ諸国は自由に行けるようになってきているが、ヨーロッパに実際に住んでみて見えてくる風景と、日本に住んでいて感じる風景とは見えるものが違ってくる。例えば今回、ドイツに住んでみて現在の欧州は、小国から出来ているというのもあるのでしょう。また、世界大戦からの反省からか、極端なナショナリズムという思想に 偏るのではなく、EUを通じて共生をはかっていくという考えに向かっているということを強く感じた。2014年10月にも再びミュンヘンに戻る予定。是 非、ポーランドやスロバキアにも行ってみて中欧諸国の文化や考えについて触れてみたい。

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