2014年9月10日

【W#16】モンゴル(2)〜ウランバートル市内観光

モンゴルの旅の最終日(4日目)は、市内観光。歴史遺物や最近建てられたチンギス・ハン像を中心に廻った。モンゴルの旅の前半については、「【旅コラムVol.16】モンゴルへの旅(1)〜ゲルと乗馬」にまとめた。

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モンゴルは地理的にロシアと中国の二つの大国に囲まれた国で、19世紀まで清朝が支配していた。20世紀に入ると、モンゴル国の独立とともロシアが影響力を及ぼすようになり、インフラ整備もロシアの影響下行われるようになる。文字もこの頃ロシアで使われていたキリル文字を採用。過去に使われていたウィグル文字を改変したモンゴル独自の縦文字は一部の場所以外では、使われなくなることになる(下記の写真に縦文字(上)、キリル文字(下)の表記がある)。ロシアと親密になったことから、社会主義の体制を採用することになる。

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近代戦争については日本軍と旧ソ連軍が参加したノモンハン事変にモンゴルが参加したことがあるが、それ以降は戦争には実質参加していない。興味深いのは中国との関係。モンゴルは社会主義の時代、中ソ対立のときに旧ソ連側についたため、中国とは政治的には対立関係にあった。現在でもモンゴルは反中で、裏を返せば親日的である。ただ、広告を見ると、日本のプレゼンスが圧倒的に少なく、中韓が目立つ。

第二次世界大戦後、モンゴルはロシアの影響力の強いモンゴル国と中国に併合された内モンゴル自治区に分かれる。もともと一緒だった二つの地域が大国によって分かれてしまうというのも国家の命運を感じてしまうが、統一については内モンゴル自治区もモンゴル国も悲願であることはガイドを通じて知ることができた。そうはいうものの、中国のチベット問題(チベット仏教を弾圧している事実を含む)やロシアのウクライナ情勢を見るとなかなか独立は厳しいと思う。

宗教は基本的にチベット仏教で、チベットと緊密。しかしながら、社会主義時代に社会主義国家の他の例に漏れることなく、様々な寺院が破壊され、チンギス・ハンを含めたモンゴルの歴史の否定とレーニン像の建設(レーニン像が打ち壊されたのは2〜3年前)を含めたロシア化が一段と進む。

社会主義体制は旧ソ連の崩壊とともに民主化体制に変更。現在までに歴史の見直しや(チンギス・ハンの像の建設等)や寺院の立て替え、そして近代の建物の建設な急ピッチで進められている。再建された寺院はテレルジで見ることが出来た。

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ウランバートルでも寺院をみることが出来る。

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チンギス・ハン像は二カ所あり、いずれもみることができた。そこには、歴史を取り戻しつつあるモンゴルを垣間見ることができた。

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ガイドによると、言語と歴史・文化を失うことは国家としてのアイデンティティを失い他の国に身を委ねること。特にチンギス・ハンの否定やチベット仏教への弾圧は、ロシア(モンゴル国)と中国(内モンゴル自治区)が行なってきたこと。日本も中国と韓国との間で歴史問題を抱えていているが、歴史・文化への答えは、その国家自身で答えを出していかなければいけなければいけないこと強く思う。

観光について、ガイドが興味深いことを言ってた。それは、90年代、社会主義から脱却した際、日本の観光客が殺到し、それがモンゴルの観光を育てるのに役立ったこと。これは感謝しようと思ってもしきれないといってた。

最後に、チンギス・ハンについて。

堺屋太一氏の「歴史を創った男・チンギス・ハン」によると、チンギス・ハンは、

「人間に差別なし・地上に境界なしの世の中こそ正しい」

という思想の持ち主で、人権の平等と自由な交易交通を正義として、その考えを広めるために帝国を築いたらしい。その政策を施行し宗教にも寛容だったことから、現状の大国に囲まれた環境から考えると、如何にすごい人物であったかが分かる。

チンギス・ハンという人物を産んだモンゴル。これからもこの国に注目して行きたいし、日本ももっと関心もっていいと思う。