2014年10月4日

【W#37】トルコ(3)〜イスタンブール市内観光

トルコの7日間(2014年9月27日〜10月3日)滞在中にイスタンブールの市内観光を行ったのが3日間。本ブログでは触れないが、カッパドキアへ2日間(カッパドキアについては、「【旅コラムVol.38】トルコ(4)〜カッパドキア」で触れる)。いずれも充実した旅になったと思う。

少し、イスタンブールやトルコの前身、オスマン帝国の歴史について触れたい。

イスタンブールは、紀元前660年頃に植民都市として、ビザンティオンとしてスタートしたが、何と言ってもこの都市を有名にしたのが、ローマ皇帝のコンスタンティヌス1世が330年に東ローマ帝国の首都として定めてからである。それ以来コンスタンティノープルと呼ばれるようになり、キリスト教の要として発展し続ける。1453年、コンスタンティノープルはオスマン帝国の手に落ち、イスラム教の中心となった。イスタンブールと呼ばれるのは1923年にトルコ共和国が樹立されて以降である。

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東ローマ帝国の遺跡としては、テオドシウス1世のオベリスクと地下宮殿をみることができた。テオドシウスのオベリスクは、ローマ皇帝によりエジプトから運び込まれたとのこと。エジプト文字が記されており、歴史を感じさせてくれる。

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地下宮殿(ちかきゅうでん)の通称で知られるバシリカ・シスタン (Basilica Cistern) は、東ローマ帝国の貯水池としては最大のものであり、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスによって建設された。そこには、メデューサ像もあり異様な光を放している。

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トルコの前身であるオスマン帝国については、塩野七生氏の「海の都の物語」に詳しく書かれているので、それを参考に述べたい。

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1300年前後に小アジアの内奥にトルコのオスマン王朝(オスマン帝国)が東のモンゴル帝国と西のビザンチン帝国の谷間に生まれ、モンゴル帝国が最強であったため、そこを避け西に拡張の進路を取る。スルタンを首長に徐々に力をつけ、1453年にコンスタンティノープルをビザンチン帝国から奪う。コンスタンティノープルを足がかりににヨーロッパへの進出、スレイマン大帝時代のオスマン帝国は、西はモロッコ、東はペルシア湾、北はクレミアからウィーンまで広大な領域に及んでいた。今回市内観光で、歴代のスルタンが500年に渡り住んだと言われるトプカプ宮殿をみたが、その豪華さに圧倒され、見学時間もゆうに2時間を超えていた(下記の写真はその一部)。

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ニコロ・マキアヴェッリは、オスマン帝国のことを

「ただ一人の主人の他は、全員が奴隷の国」

と表現した。スルタン自身もハレムの奴隷女の一人から生まれることから、母方は奴隷といえる。興味深いのはトルコ人を奴隷にすることが禁じられていたことから、トルコの血が薄い。スルタンの家臣も奴隷で、数年ごとにトルコ領土内のキリスト教国で定期的に集められた男子のうち、心身ともに優れた少年は、親元から離され、宮廷内でエリート教育を受ける。その他は、軍隊によって育てられ、トルコ陸軍の精鋭となる。スルタン一人に忠誠を誓い、妻帯も禁止。狂信的な反キリスト教兵士として育てられるのだが、実は元キリスト教徒である。興味深いことは、非トルコ人によって治められる多民族国家であるといえる点。また、一人の主人の他は全員奴隷であるという国ということは、スルタンを除けば、他の誰にも機会が平等に与えられること。このような国家体制がオスマン帝国の強さの源泉であり、帝国に広大な領土をもたらすこととなる。

今回、イスタンブールで2つのモスク、ハギア・ソフィア(Hagia Sophia)大聖堂(下記左)、ブルーモスク(Blue Mosque)(下記右)をみた。

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ハギア・ソフィアは、元々大聖堂としてコンスタンティヌス1世の息子のコンスタンティヌス2世によって作られたが、二度の消失後、現在に至る構築物となる。コンスタンティノープル陥落後、モスクに作りかえコンスタンティノープルの初のモスクとなった。興味深いのは、オスマン帝国は、大聖堂にあったモザイクを破壊することをせず漆喰により塗りつぶしたこと。

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1800年代以降に調査を進め、少数であるがキリスト大聖堂であった頃のモザイク画が奇跡的に残っている。キリスト教とは異なるイスラム教のモスクでこのようなものが見れるなんて、大聖堂をモスクへ変えたにもかかわらず完全に破壊しなかったイスラム教徒への寛容さを感じるとともに、過去に歴史遺物を残そうとした人々に対して尊敬の念を感じる。

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ブルーモスクは、1600年代の初期にアメフト1世によって建立、白地に青の色調の美しさがあり、ブルーモスクと呼ばれる。明らかにハギア・ソフィアの影響を受けていて、中を見ているとすごく美しい。

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とにかくイスタンブールは見るところが多く、全て本ブログで語るのは厳しい。イスタンブールに少なくも1週間はとってみたいところである。ヨーロッパとアジア、キリスト教とイスラム教が交差するこの都市。自分の知っていることを揺さぶってくれる素晴らしい都市だったと思う。

次に、トルコのカッパドキアについて触れたい。