2015年4月4日

【W#129】マドリード(4)〜トレド市内観光

2015年3月30日。グラナダに向かう前にマドリードから約1時間のトレド市(Toledo)を訪れた。1561年、マドリードに首都が移る前は、実質的なスペインの首都。ここの町の特徴は、中世にユダヤ教、イスラム教、キリスト教が共存して文化を形成していたこと。

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トレド市全体は、左側がユダヤ教徒地区、真ん中がキリスト教徒地区、左側がイスラム教徒地区に分かれている。

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トレドはローマ時代からあった都市で、その後西ゴート帝国の首都にもなった。

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711年にモロッコを含め北西アフリカに住んでいたムーア人によって征服された後、イスラムの支配下に置かれる。1085年、トレドがキリスト教の手に戻ると、カスティーリャ王国やスペイン王国は首都を定めていなかったが、トレドは一時的な宮廷の所在地となる。

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12世紀から13世紀、トレド翻訳学派と呼ばれる学者が活躍。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、ギリシア・ローマ時代の様々な文献(哲学・神学・科学)がアラビア語からラテン語に翻訳された。実は、ローマ帝国末期にローマがキリスト教を国教として定めた後、多神教時代に作られた西洋の様々な文献は、より表現の自由のあるイスラム教へ流れ、そこで保存、研究が進んでいったという経緯がある。このラテン語への翻訳がイタリアから始まるルネサンスに大きな影響を及ぼすことになる。

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観光は、城壁から開始。興味深いことにトレドにはエスカレーターが設置されていて、坂を登ることなく頂上へ向かうことができる。

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トレドの街全体を見た後、キリスト教区へ。そこには修道女が住んでいた修道院をいくつか見つつ、トレド大聖堂へ。この大聖堂は1226年に建設が開始。1493年に完成したゴシック様式の建物だ。

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マドリードのプラド美術館を訪れた際に触れたが、エル・グレコがトレドに滞在(1577年〜1614年)。モスクを14世紀に改造したサント・トメ教会には、エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」が所蔵されている。

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Elgreco

トレドは、剣の生産で有名となり、映画ロード・オブ・ザ・リングやホビットの剣の生産に携わったらしい。実際に剣が販売する店も見ることができた。

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ユダヤ教徒地区はわかりやすく道にユダヤ教徒のシンボルが記されている。

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ここに住んでいたユダヤ人はキリスト教徒の迫害を受けて一時的に海外に疎開するが、当時話されていたスペイン語をそのまま保存する形で代々受け継がれていたそうだ。

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この地区には2つシナゴーグが残っている。そのうちの一つは、12〜13世紀に建設された。アラブ人によって建てられたため、ムデハル様式と呼ばれるアラブ風の建物になっている。残念ながらその後ユダヤ教徒の迫害が進み、シナゴーグは僧院に転用され、礼拝堂が加わることになった。そして名前もサンタ・マリア・ラ・ブランカ(白い聖マリア)となった。もう一つのシナゴーグも同じようにキリスト教の建物に建て替えられ、現在博物館になっている。

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最後にタホ川(この川はポルトガルのリスボンまで繋がっている)沿いにかけられたサン・マルティン橋を見ることでトレドの旅を締めくくった。

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今回は運良く晴れてくれたため、橋からの街の素晴らしい景色を見ることができた。

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スペインはキリスト教国家であるにもかかわらず、トレドやセゴビアの例にあるようにイスラム教の影響を受け、実際に建物の様式にそれが現れている(例えば、今回紹介したサント・トメ協会やサンタ・マリア・ラ・ブランカ)。しかも驚くべきことに三つの一神教が共存していた時代もあった。イスラム教の技術の高さを知ることができたのと同時に、実物を見てそれぞれの宗教のことを知ることの大切さを学んだように思う。

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次回は、グラナダでみたアルハンブラ宮殿について書きたい。