2015年8月25日

【B#25】身体と心について〜心と身体感覚

8月に入って日本語や漢字がどのようにして成立していったのか?空き時間に、岡田英弘氏、白川静氏や安田登氏の本を中心に読みつつ、人に何を学んだのか?シェアしている。

身体と心というのは本コラムで書いてきたが、言葉・文化や社会が人の身体に与える影響というのは非常に大きいことに気づく。言葉それ自体をみたら、心というのは理解できるのではないか?と世界一周中に思ったこともあった。その点については、【RolfingコラムVol.113】で少し触れたことがある。

その、心と身体感覚について考えるきっかけを与えてくれたのが、ロルファーで能楽師の安田登氏の「身体感覚で「論語」を読み直す」という一冊の本だ。

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実はこの本、自分自身がロルフィングと出会う前、古代中国の古典「論語」について調べていく過程で出会い、手に取った本だった。

本書が面白いと思うのは、

『論語』は、世界初の「こころのマニュアル」だったのではないか?

といった仮説を立てながら話を進めていること。

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漢字と古代中国の歴史については、【RolfingコラムVol.113】で 触れたが、漢字については興味深いことがある。「心」という漢字が現れたのが漢字の歴史上非常に遅いということだ。出現するのが、孔子が活躍する500年 前だったのだそうだ。時期的には、王朝が殷(いん)から周(しゅう)の時代。その突然の出現に人々は戸惑い、「心」をうまく使いこなせないままに500年間を過ごしたという。そのとき、孔子が現れて、人々に「こころの使い方」を指南し、まとめたのが『論語』となる。

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具体的に心の定義に移る前に、心を表す漢字について例をあげたい。

「心」というのは思、想、恋、などの心がつく文字、性、悔、などの「りっしんべん」のつくもの、恭、慕など「したごころ」がつく文字といったものであり、これらの漢字が孔子時代にはなかったそうた。

例えば、「四十にして惑わず」、漢字で書けば「四十而不惑」と書くが、「惑」という字が孔子の時代がなかったということだ。

では、「心」ってなんであり、どういった形で誕生したのか?

本書では、「神々の沈黙」について取り上げている。著者であるジュリアン・ジェインズによると、「心が生まれたのが3,000年前だ」という。

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ジェインズは、楔形文字の研究から、心、すなわち意識は3,000年前より前にはなかったことに気がつく。根拠となったのがギリシア古典。楔形文字で書かれた 『イリアス』。その中には、「心」(ここでいう心とは「内省する意識」)を表す言葉がなく、心という意味で使うような言葉には身体語が使われている。

たとえば「魂」や「意識ある心」を表す「Psyche」は、本来は「血」や「息」という意味、「感情に満ちた魂」を表す「Thumos」は「横隔膜」。現代人のいう「心」の働きに対応する語は、身体語によって表現されていた。その結果、人間には「意識」とか「意思」がなかったと考えた。

実は、そういった感覚を持っている人は現代でもいる。「統合失調症」の患者だ。ジェインズは、統合失調症患者の心の状態から、古代人は「神」の声に従っていたのではないか?という仮説を導き出していく。

ジェインズの仮説のユニークなところは、心というものを二分心という名をつけたところ。

  1. 命令を下す「神」の心の部分
  2. それに従う「人間」の心の部分

という二つの心があり、命令を下す「神」の心の部分が失われた結果として、その代わりに内省する心が誕生したという。ジェインズによると右脳が「神」、左脳=「人間」と考えた。宗教がなぜ同時にキリスト教、仏教、儒教などが誕生したのか?を考える上で本仮説が正しいか否かはともかくとして、興味深い説だと思う。

安田氏は、人間は自分の運命を自分で考えるようになった結果として、心が生まれたという説をさらに推し進め、「悩」「怒」「悲」等の苦しい心には「礼が役立つ」ということで、礼の意義をもって論語の心のマニュアルの面白さを触れているが(下記は本書より抜粋)、是非ともそれを含め本書は興味深いので一度手に取ってもらいたい。

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身体と言葉は漢字や中国の古典からみてみると、また新たな世界が出てくると思う。また、どこかの機会で言語と身体については触れていきたい。

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