2018年3月20日

【R#213】Rolf Movement – ロルファー向けのセミナーを開催(1)〜Ida Rolfの生きた時代

ドイツ・ミュンヘンで開催されたRolf Movementのトレーニングを2017年から2018年にかけて受講している。

2018年2月4日に3回(英語でPhase)に分けて行われるトレーニングも2回(合計で21日間)が終わり、残り1回(9日間)となった。トレーニングもひと段落した。

ロルファー仲間から、今まで学んできたことをシェアしてほしいということで、2018年2月24日と3月19日の2回にわたって、ロルファーやボディワーカー向けにセミナーを開催。

ロルフィング及びムーブメントの歴史や基礎となるロルフィングの考えについて、今まで学んだワークショップを含め、自分の知っていることをシェアした。

内容(アジェンダ)は下記の5つを中心にシェアした。

興味深い!面白いといっていただいたので、せっかくの機会。

内容について本コラムで紹介したい。

Ida Rolf(以下Ida)は、1896年にニューヨークに誕生した。

当時の時代背景として、19世紀から20世紀の初頭にかけて米国では民間医療が主流で、医師は力や富もなく地位も低かった(詳細は「金沢講演(2)〜代替療法と対処療法」参照)。

医学系大学院で医学教育を行うということもなく、自分で勝手に名乗れば医師になることができた時代であり、治療を受けるか否かについては基本的に患者が選ぶことができ、患者本位の医療を受診できることが可能だったという。

代替療法の一つとして知られていて、Idaに影響を与えることになるホメオパシーについて、1835年にアメリカでホメオパシーの学校が設立。1918年には、22のホメオパシー医科大学(全体の22%とも)、100以上のホメオパシー病院、1,000を超すホメオパシー薬局があったという。

様々な選択肢があったのが幸運だったのか。

1916年、Idaが馬に蹴られて瀕死の状態になった時に、オステオパシーの治療によって一命を取り留めることになる。その後、生化学を専攻し、ニューヨークのコロンビア大学で博士号を習得。

興味深いのは、単純に科学的なもののみに触れるだけではなく、民間療法(オステオパシーやカイロプラクティック)についても勉強するようになったことだ。

近代ヨガに大きな影響を与えた、ティルマライ・クリシュナマチャリア(Tirumalai Krishnamacharya、1888年〜1989年)(アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨガのパタビー・ジョイス、アイアンガー・ヨガの創始者のアイアンガーの師匠)(「近代ヨガの歴史(1)〜クリシュナマチャリア」参照)がヒマラヤで修行を積んでいた頃といえば、1916年〜1923年頃。

51Za-F+ITpL

その頃(1920年代)といえば、ヨガを実践する人は社会的に地位が低く、貧民が行うことであり、大道芸人(魔術師や乞食を含め)の近い存在だった(詳しくは「マーク・シングルトン:「ヨガ・ボディ〜ポーズの練習の起源」」参照)。

そのような時代を知ると、Idaが、1920年にニューヨーク在住のピエール・バーナード(Pierre Barnard)というタントラ・ヨガの先生からハタ・ヨガを学んだというのは本当に驚きを感じる。

2015-09-16 12.01.23

当時は、第一次世界大戦(1914年〜1918年)が勃発。男性が兵士として戦場に駆り出されたこともあり、男性優位でなかなか女性が大学で研究職に就くことが出来ない時代だったが、才能もあり、女性として研究職(研究員のポスト)をロックフェラー財団のロックフェラー医学研究所で得ることが出来た。

大学の研究職に就くと、7年に一度サバティカル(1年大学で休暇が与えられて学ぶ期間が与えられる)を得ることができる。

そこで、1925年〜1926年にかけてヨーロッパへ。

米国が科学大国になるのは、第二次世界大戦後。当時はヨーロッパ諸国が全盛の時代。数学や物理学だけではなく、ホメオパシーについてもスイスで習得したという。

19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパでは現代思想や心理学が席巻していた。

Idaは、ウィリヘルム・ライヒ(Wilheim Reich、1897年〜1957年)の「筋肉の鎧」という考え方に触れていた可能性もある。精神分析家のライヒはクライアントの感情(悲しみ、怒り、恐怖)を感じなくさせるために筋肉を緊張(=筋肉の鎧)させて、閉じ込めるということに気づく。そして、その緊張を取るために、身体の直接働きかけることで、治療成果を上げていった(「ゲシュタルト療法と「いま・ここ」〜NLPを理解するために」参照)。

現に、1939年〜1957年の間にライヒが米国に滞在していた期間にIdaはライヒの考えを吸収。身体と心の関係についても自分の仕事に取り入れるようになっていった。

一方で、ライヒは、第二次大戦後に、販売しようとしたがんの治療機器が不法製造販売にあたる、として米国のFDAに逮捕され、収監され獄死。

その影響からか、スピリチュアルや怪しいものに対する取り締まりが、Idaは、目に見えないものやスピリチュアル的なものに対しての言動に警戒心を抱き、科学的なこと以外は語ることが少なかったという。

1940年頃からIdaは、ボディワークを開始していく。1950年頃までにはカイロプラクティックやオステオパシーの治療家に教えるようになった(当時は「Structural Dynamics」と呼ばれた)。そして、お弟子さんも徐々に増えていった。

83G83T838C83938AC594C21

お弟子さんの一人で看護師のDorothy Nolteが1965年にエサレン研究所(エサレンについては「エサレン研究所(1)〜心理学とボディワーク」参照)で、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールス(Frederick (Fritz) Perls、1897年〜1970年、この人はNLPのモデルとなる一人)に授業を受ける縁に恵まれる。そこで、心臓に問題を抱え、瀕死の状態だったパールスに対してボディワーク(ロルフィング)を行った。その療法に感銘を受けたパールスは、創始者のIdaをエサレンに招聘。

エサレン研究所でIdaがロルフィングのことを教えるようになることで、米国全土に広がっていった。

1971年には米国ロルフィング協会を設立。本部をコロラド州のボルダーとし、1979年に亡くなるまで精力的に活動をしていたという。

駆け足で、Ida Rolfの人生について書いた。スペースの関係上、全てを一回で語るのは難しい。

次回、Rolf Movementの歴史について書きたい(「MovementとAwareness」参照)。

参考文献

  1. Kripal J.J. Esalen America and the Religion of No Religion
  2. Jacobson E. ‘Structural Integration: Origins and Development’ . 2011 Sep; 17(9): 775–780.