2020年1月28日

【B#100】なぜキリスト教はローマ帝国の国教となったのか?多神教の国が一神教の国へ、その後、ヨーロッパに与えた影響等

2020年1月25日(土)に「身体の学校・ZERO塾」「発想力」の1回目を開催した。

参考に、内容については「「元素とは何か?」(1回目)〜「自分で考える力」とは何か?言葉を知ること、生活と関連づけること、科学の限界を知ること」に書いた。

参加者から概ねポジティブな感想をいただいているので「ほっ」としている。

一番大事にしている「質問」も多岐にわたり、私も答えられないもの、実際スライドを確認していると、間違って伝えたスライドもあった。

パソコンのソフトやアプリでは、バージョンをあげていくことで、改良していくことが行われている。

現在は0期の段階。

1期を開催する際、さらに修正を加え、わかりやすく+面白く、伝えることができればと考えている。

質問の中で、面白かったのは、

「なぜキリスト教がローマ帝国(現在のヨーロッパ諸国)の中で主流の考えとなったのか?」

という質問があったことだ。

歴史にWhat if?(もしも・・・ならば)を考えると面白いことがある。

「戦国時代の織田信長が明智光秀によって殺害されていなければ・・・」

「大日本帝国はアメリカに戦争で勝っていたならば・・・」

等。

キリスト教が392年にローマ帝国の国教に定めていなければ、ひょっとしたら

1)ギリシャ哲学がそのままヨーロッパに残っていた

2)12世紀以降のルネサンスが起きてない

3)西洋科学がもっと早く誕生していた

等、の可能性があったからだ。

今回の質問を裏返すと、

「どのようにしてユダヤ教の一派からキリスト教が生まれ、世界的に普及していったのか?」

だと思う。

一時、この点に関して興味を持ち、調べたことがある。

その中で、一番面白かったのが、塩野七生さん(以下塩野さん)の「ローマ人の物語」だった。

塩野さんの「ローマ人の物語」は毎年1巻ずつ出版。合計15巻(出版は1992年〜2006年の頃)が出ている。

私は2巻が出た頃から読んでおり、ギリシャ・ローマ、オリエント、ペルシャ、アラビアの世界を知る上で役立つことが盛り沢山。

キリスト教徒のヨーロッパの歴史家が書いたものではなく、非キリスト教徒で多神教を評価している塩野さんが書いていることもあり、ローマ帝国がどのようにでき、1000年近く維持されていったのか、が書かれていて興味深く拝読した。

さて、キリスト教については「ローマ人の物語(XII):迷走する帝国」に詳しい。

上記の本を引用しながら話を進めていきたい。

多神教だったローマ帝国と一神教だったキリスト教。相反する2つの考えの持つ、いわば文明の違いのあったにもかかわらず、なぜキリスト教の考えがローマの中で増えて、最終的に天下を取ったのか?

塩野さんによると、それについて語った歴史家が過去2名いたというのだ。

Edward Gibbon ‘The History of the Decline and Fall of the Roman Empire’ (1776年〜88年)(以下ギボン説とする)

Eric R. Dodds ‘Pagan and Christian in an Age of Anxiety’ (1965年)(以下ドッズ説とする)

ギボン説は

1)断固として、一神教で通したこと

2)魂の不滅に象徴される、未来の生を保証する教理を打ち立てたこと。この教理が信徒増大において強力な武器になり得たのは、帝国の終末も間近ではないかという(略)、ローマ人の抱いていていた漠然とした恐れがあったことを忘れてはならない。

3)初期のキリスト教会の指導者たちが行ったとされる奇跡の数々

4)すでにキリスト教に消えしていた人々の、純粋で禁欲的な生き方

5)規律と団結が特徴のキリスト教のコミュニティが時代が進むについて独立した社会を構成するようになり、そのキリスト教徒の社会がローマ帝国の内部で、国家の中の国家になっていったこと

ドッズ説は

1)キリスト教そのものが持つ、絶対的な排他性

2)キリスト教は、誰に対しても開かれていたこと

3)人々に希望を与えるのに、成功したこと

4)キリスト教に帰依することが、現実の生活でも利益をもたらしていたこと

と箇条書きでそれぞれの説を書き残している。

当時のローマ帝国は、国力を含め衰退を迎え、外部からの蛮族の侵略に惑わされるような時代を迎えていた。その中、不安を抱える人たちは、キリスト教の考えが時代にマッチするような基本的な保証を与えるようになっていたという。生活に困っている寡婦を助け、孤児を引き取り、老人、失業者などに手を差し伸べる。貧民に葬式代を出したり、疫病がはやれば病院の役目を果たしたりと。

その上、塩野さんは、ローマ帝国がキリスト教に歩み寄ったのではなく、キリスト教会の方がローマ帝国に歩み寄ったという仮説を紹介。

1)偶像崇拝(ユダヤ教は認めないが、キリスト教は認める)

2)割礼(キリスト教は割礼を許す)

3)帝国の公職と軍務(キリスト教徒であっても、コミュニティに対して義務を果たすこと)

以下の3つを取り上げている。

私はキリスト教は聖パウロから始まった国家に対抗できる教会の組織作りに成功し、時代にマッチした考えがちょうどローマの人たちにあったのだろうな、と思っている。

が、その後、ギリシャ・ローマ古典の追放、ローマの各地にあった図書館が閉鎖、東西の教会への分裂や異端弾圧、魔女狩り等、色々な影響が出てくるのが、歴史的に見た通り。

つくづく、指導者がどのような選択をするかによって、その後の国家や地域が影響を受けることを実感する。

いずれにせよ、事実として、ローマ帝国が最終的にキリスト教を国境として選択。

ギリシャ・ローマ古典が、ペルシャ経由で、イスラムに移って発展する形をとっていく(詳しくは「西洋の科学の考えは、キリスト教のみならず、イスラムを含めた外部からの刺激を受けて発展している」参照)。

最終的に、イスラムの発展した学問をヨーロッパに再輸入する形で、ルネサンスが開花。現在の近代科学へとつながる。

歴史にもし、キリスト教がローマ帝国で採用されていなかったはどうなっていたのだろうか?

皆さんはどう思いますか?「身体の学校・ZERO塾」では、このようなトピックも取り上げて、皆さんと考える時間を設ければと考えています!