【R#106】金沢講演(2)〜代替療法と対処療法

2015年6月24日、25日の両日、金沢の歯科医院で世界一周及びロルフィングの講演を行うことができた。経緯と内容については前回触れた(【旅コラムVol.170】【RolfingコラムVol.104】参照)。
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その際、金沢にはロルフィングの施術を行うロルファーがいないことを含め、日本のロルフィングの現状について少し触れた。
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前回は講演会の内容について書いたが、今回は、講演の準備していた最中に気づいたことについて書きたい。
国内の医療費は厚生労働省が必死になって費用を削減しようと努力しているにも関わらず増大をし続けている。その大部分が薬剤費が占めるという。
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医療費が高騰しているにも関わらず、予防医学というものが普及していないのはなぜか?代替療法がいろいろあるにも関わらず、なぜ現代医学の対処療法のみが普及しているのか?講演会を準備するにあたってその理由について知りたいと考え、本をあたってみた。そこで、ある本との出会いを通じて、代替療法と対処療法についての歴史を紹介したい。
その本は、「医学不要論」という本で話題になった内海聡医師が推薦している本であり、ユースタス・マリンズの「医療殺戮(Murder by Injection)」。
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石油で財をなしたロックフェラー財閥及び財団が主導になって、有機合成で作られる薬を推し進めるため、対処療法以外の選択肢の排除していくという歴史的経緯が書かれている。本の内容を自分なりに編集して書いていきたい。
19世紀から20世紀の初頭にかけて米国では民間医療が主流で、医師は力や富もなく地位も低かった。現在のように大学院で医学教育を行うということもなく、自分で勝手に名乗れば医師になることができた。治療を受けるか否かについては基本的に患者が選ぶことができ、患者本位の医療を受けることができた。
興味深いのは、1848年に米国医学会(American Medical Association、AMA)が設立された当初、ホメオパシー医学の医師の数はAMAの構成メンバーである対処療法(アロパシー医学)の医師の2倍以上いたという。
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アロパシー医学は、対処療法(逆症療法ともいう)であり、病気の症状を抑えることを主眼とした医学。アロパシー医学は公認の医科大学(日本では6年間、米国では学部4年間+大学院4年間)で訓練を受けた医師が行う治療だ。外科手術と投薬に依存した治療法が主流あり、標準的な治療法があると信じている点に特徴がある。
ホメオパシー医学は、ドイツ人のサミュエル・ハーネマン医師が提唱したもので、
「病気とは症状そのものであり、健康な人間に対して同じ症状を引き起こす薬をできるだけ少量投与することによって病気を治療できる」
と考える。
内海聡氏の「医学不要論」によると、
1835年にアメリカでホメオパシーの学校が設立され、1918年には、22のホメオパシー医科大学(全体の22%とも)、100以上のホメオパシー病院、1,000を超すホメオパシー薬局があったそうだ。
AMAの医師たちはドイツで教育を受けており、医学会が指定する標準的な治療法に従わない医学はどのような医学であれ、敵意を現すことになる。
状況が一変するのは、1910年以降。石油で財をなしたジョン・ロックフェラーは、石油を材料して作られる薬(低分子化合物、有機合成と呼ばれる合成法で作られる物質)の可能性を信じて、投資をするようになるところから始まる。その布石として、ロックフェラー医学大学を設立した上で、AMAと手を組んで調査レポートを作成。

ロックフェラー財団のロックフェラー医学研究所のアブラハム・フレクスナーがフレクスナーレポートを発行する。そこでは、全米の69校の医学校を調査。独自の尺度で格付けを行っている。
その結果として、
「法的に定められた医学会によって認定されていない薬を処方、販売したり治療法を施すこと」
に従う学校をインチキと断定。フレクスナーのレポートをきっかけに医学教育制度も整えられていく。1900年には普通2年間の見習い期間を経て、出来のよい機械工と同じ程度の給与しか得られなかった医師だった教育制度も変更。4年間の学部教育を受けたのちに、さらに4年間の大学院の医学部教育を受ける制度に変えた上で、医学の教育を受けられる学校も減らしていく。現に、医学校も650校から50校に減少(ホメオパシーの学校は事実上消滅)。毎年の卒業生の数は7,500人から2,500人になったという。
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代替療法の選択肢が事実上なくなったことから、医療は医師の独占的な職業となりステータスも上がっていった。更に、米国での医療のコストも上昇することになる。AMAはアメリカで最大のロビー団体となり、医学教育・医師免許・治療法・治療費は全て、AMAが独占する形へと変貌を遂げる。1951年、連邦議会は医学の専門知識なしに、安全な薬を購入するとき、医師の処方せんが必要だという法律によってより強化されていった。
代替療法も細々と生き続けることになるが、米国で再度注目されるようになるのはエサレン研究所が設立される1960年代以降となる。そのことについては、以前【RolfingコラムVol.94】【RolfingコラムVol.95】に書いた。
ロルフィングを開発したIda Rolfが生きていた頃は、ホメオパシーが比較的盛んだった時代と一致する。代替療法の影響はどのような形でロルフィングに影響を与えているのか?次回書いてみたいと思う。